場内の施設, 歌碑・塚

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2010.07.20

小鮎塚

かつて小アユと大アユは種類が違う魚と考えられていましたが、明治41年(1908年)、琵琶湖産小アユを当養鱒場で池中養殖すると大アユ並に育ちました。

これに着目した滋賀県水産試験場が県内各地で実験したところ、アユの体の大小は環境の違いに影響されることが証明され、アユ養殖や移植放流の起源となりました。

碑はこの発見と、実験中に死んだアユを追悼する目的で、昭和15年(1940年)に建立されました。





《小鮎塚全文》
 琵琶湖産小鮎は大正年代の末期より淡水養魚界に登場して、重要視されることとなる。それ以来滋賀県当局の指導のもとで再捕蓄養輸送の施設を完備し、今や年々延長四千㎞に至る全国河川に移植され、その出荷額は実に五百万円に上る。小鮎の功徳や偉大なりと云える。
 ここに小鮎塚を建立して移殖放流事業開始以来今日までのその犠牲となった小鮎三億尾の霊を慰めると共に小鮎族が永劫に繁栄し、わが国の水産資源の開発に貢献しうることを祈願する。
 ちなみに古来小鮎はその魚体が終生小型で、大鮎とはその種類を異すると信じられていた。しかし、滋賀県水産試験場の魚類学的識見はこれに疑問を懐くに至り、場員水産講習所出身の柳本斗夫を研究主任として、知内分場に於いて明治四十二年より、地中飼育試験に着手し更に翌年より鮎の生息しない水域の天野川上流丹生川に放流試験を実施し、その成果で小鮎は大鮎と同種で体型の大小は環境の相違に基因することを実証するに至った。
 小鮎の河川移殖事業の創始発達は一に歴代本県水産試験場員各位の絶大なる努力と農林水産局の活魚遠距離輸送試験のたまものである。歳月を経ることによって、この尊貴すべき発見創意に関し異説を生ぜんことを恐れここにこれを併記する。
    皇紀二千六百年十一月十日            滋賀県小配給協会長    荒木勝二
    (昭和十五年十一月十日)
   元農林次官従三位勲二等  阿部寿準   題
   衆議院議員          森孝太郎   撰  


投稿日:2010年07月20日|カテゴリ:場内の施設, 歌碑・塚

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